日付:2016年3月17日
カテゴリ:about Rune and Momo,運営者プロフィール
こんにちは!
ルネ&モモ 代表の山川裕子です。
主にデザインやお客様対応をしています。
今日は私がなぜこの仕事をはじめようと思ったか話をしようと思います。
少し長いですが最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
最初私は鞄の企画会社でOLをしながら
ジュエリーの工房に毎週末通っていました。
通いだしたのは21歳ごろからだったと思います。
自分が好きなものばかり制作していました。
とても楽しく、思いついたものをどんどん作っていきました。
楽しすぎて家でも制作に没頭。
ただ、できることが限られており、初心者だったので
スピードは遅かったです。
そのうち誰かに見てもらいたいと思いました。
そんなとき、工房の展示会を開催しようと先生が提案してくれました。
2か月後初めて自分が作ったものを人目に披露しました。
人目に触れるのも嬉しいですが、もちろん売れてほしい。
そんな思いで参加した展示会でした。
結果、売れたのは1点だけ。
それでも初めて自分で作ったシルバージュエリーが
売れて嬉しかったです。
ただ値下げをしており、利益は2千円ぐらいだったと思います。
初めての展示会ではどれぐらいの値段をつけていいかも不明でした。
工房に通いながら、いくつかのコンテストにも応募し
入選を果たしました。
残念ながら入賞は逃しましたが、私でも入選できるんだ!
という自信につながりました。
この入選したコンテストのうちの1つに
「伊丹国際クラフト展」というものがありました。
これはコンテンポラリーに特化したコンテストです。
*コンテンポラリージュエリーとは簡単に言うと「現代アートジュエリー」です。
今までの素材、技法に捉われないジュエリーのことを指します。
このコンテストの影響もあって、そのうちドイツに憧れるようになりました。実はドイツはコンテンポラリージュエリーの本場。
私はとてもミーハーだったので(苦笑)、それだけで行きたいと思いました。
行って有名になって帰ってきて、すごいと思われたい。
そんな欲がありました。
ドイツに本格的に行くと決めて着々と準備を進めるなか、
行く前にもう一度だけ展示会に参加することになりました。
2回目の展示会では2点ほど売れました。
でも、、、明らかに義理でした。
嬉しい反面悔しかったのを今も覚えています。
そうして、ドイツでの生活が始まりました。
語学学校でドイツ語の勉強をしながら、4月大学の聴講生になろうと思ってました。
でも、自分のドイツ語に自信が持てず、今いる場所を離れることにおびえて
結局聴講の試験さえ受けませんでした。
むしろ、調べもしなかったのです。
この時、あんなにジュエリーの為に行きたいて思ったのに
ただのミーハー心だったということにうすうす気づいてきました。
それでも日本には帰りたいと思わず
アルバイトをして、ドイツ国内を旅したり、海外に一人で旅行に行ったりして
ビザが切れるギリギリまでドイツにいました。
…そしてやはり、ビザを更新しようという思いはありませんでした。
結局意気地なしで臆病ものだった。
コンテンポラリージュエリーへの憧れはただの憧れだったと気づきました。
それでもジュエリーは続けたい。
技術をもっと身に着けたい。
そんな欲はあったのでその後、日本でジュエリーの学校に通うことにしました。
私が通ったところは伊丹ジュエリーカレッジ。
まさにコンテンポラリー作家の先生が多い学校でした。
在学中から展示会をして、卒業後は多い時は年に4回しました。
とにかく多くの人に見てもらって、自分のブランドを持ちたいと思ってました。
百貨店にも出店したことがあります。
でもあまり売れなかったです。
2年近くで展示会を6回しましたが、売れたのはわずか6点。
到底食べてはいけません。
私はアルバイトをしながらジュエリーの制作をしていましたが、
仕事にするのは諦めました。
自分が作るものは売れない。
趣味でジュエリーは続けるだけにしよう。
そう決めました。
ただ、アルバイトをしながらも起業したい思いはずっとあって、
コピーライターやWEBコンサルタントなどのコンテンツを買ったりもしました。
ジュエリーとはまったく関係ないことでも
インターネットが好きだから、楽しくできるだろう!!と思っていました。
でも売ることはできても継続が出来ず、
やる気も落ちて、このまま続けるかすごく迷いました。
そんなとき、友達から結婚指輪の依頼を受けました。
というより、前から「作るよー」と宣伝はしてました。
趣味ですると決めたくせに、
何かジュエリーで人のために役に立ちたい
認められたい
そんな想いがまだ残っていて。
この依頼をしてくれた方は
社会人になってからできた大切な友達でした。
絶対に素敵なものを作る!!!と気合が入りました。
提案したのはギメルリング。
すぐこれがいいとオーダーしてくれました。
でも果たしてこれを本当に私が作れるのか。
今だから言えるのですが、非常に不安がありました。そこで先生の力もいっぱい借りて
何とか完成させました。
手渡したとき、とても感動してくれました。
私も感動して泣きそうになりました。
本当にジュエリーを続けていて、手放さなくてよかったと思いました。
私がジュエリーを初めて7年経った、2014年のことでした。
ジュエリーをもう一度したい。
今度は自分の仕事として確立させたい。
そう野心を燃やし、その年の冬、アロマジュエリーのトップを仕入れて
売ることに決めました。
サンプルを身に着けていたとき
これは売れるよ!興味ある!という声をいただいて。
(これを調子に乗るとも言います 笑)
結果、売れませんでした。
アロマ関係の人からでさえ「これは売れない」と言われたのです。
こんな安っぽいので1万もするの?
絶対に買わない、と。
けちょんけちょんに言われて腹が立ちました。
私がこれにかけた思いも知らないくせに。
原価がどれだけ高いことも知らないくせに!!
悔しさでいっぱいでした。
でも売れないものは売れないのです。
アロマジュエリーは2か月ほどでやめることにしました。
それからメンズジュエリーをやろうか、試行錯誤しました。
何となく感じてきたのはオーダーはいいかもしれない、ということ。
そして作るのは人に任せた方がいいということ。
なぜなら、ジュエリーの経歴が7年ぐらいの私より
職人歴20年のベテランの職人さんが作った方が
絶対にきれいなものが出来、デザインの幅が広がるから。
そうしているうちに、フェイスブックからオーダーの依頼が
ちらほら来るようになりました。
ネックレス、結婚指輪、婚約指輪、ペアリング、、、。
デザインをして、制作は職人さんに任せてのスタイルを取ったところ、
多くの喜びの声をもらいました。
自分だけじゃなく、多くの方と関わって出来上がったジュエリーを
喜んでくれて、
そして喜んでつけてくれることが
本当に嬉しいと感じました。
渡したとき、お客様の笑顔を見れることに
何よりも幸せを感じました。
誰かのためにジュエリーを作ること。
楽しい。すごく楽しい!!
やりがいもある!
そう感じました。
何より笑顔が共有できること、笑顔を作ることができること、
ジュエリーてすごいと思いました。
こうして、数々の失敗と経験をして
本当にその人のためのジュエリーは
オーダーでしか出せないとわかりました。
それから私は人生において
大事な意味をもつ結婚指輪と婚約指輪のオーダーメイドを
始めることにしました。
この背景には私も婚約をし、
結婚に対して緊張感を持ったということもありますが、
何より、ブライダルジュエリーは
人生において一番重要だと言える買い物の1つ
だと思ったからです。
結婚とは
「人生を共に歩むことを決める」ことで、
楽しいもの、希望にあふれていると思ってします。
だから、そんな想いがこめれる
結婚指輪や婚約指輪はオーダーでしかないと
思いました。
実際に、オーダーをしてくださったお客様は
オーダーしてよかった!!と言ってくださいます。
結婚して、今がハッピーでも長い人生です。
いろいろなことがあるのは予想がつきます。
でもそれを乗り越えていける強さを
勇気を
指輪が持っていたら素敵だと思います。
結婚指輪がお守りになっている。
そんな声も聞きます。
少しでも多くの方に
その人の人生を明るくする結婚指輪や婚約指輪を
作れたら何よりも幸せだ、
そう想って、このルネ&モモを
今も運営しています。
長々とありがとうございました!
これからもルネ&モモをよろしくお願いいたします!!